今日は、私の「英語」に関する視点が変わった時の話を書いてみようと思います。

アメリカで大学院に行こうと決め、いくつかの大学に出願していた時のことです。
合格者を決める選考プロセスの中で、ある大学の卒業生の面接を受けることになりました。

面接をしてくれたのは、ちょっとたじろいでしまうような、いかにもエリートな感じのアメリカ人男性。
とってもナイスで親切だったのですが、超早口(汗)。

そして、随所に気の利いたジョークを挟む。(余談ですが、アメリカ人のジョークに落ち着いて対応できるようになったのは、ず~っと後のことで、このころは「多分これはジョークなんだろうなあ」という推測レベルの理解でした。)

ハードル超高い!! 握手しながら背中にどっと汗をかいていました。

そんな緊張レベルMAXの私が、面接官の質問に答える中で思わず口にした言葉は

”Sorry for my poor English.”
「英語がへたくそでごめんなさい。」

それに対して、彼はこう言いました。

I don’t care about your English.
What I do care is who you are.

「あなたの英語なんて、問題ではない。
大事なのは、あなたがどんな人かだ。」

(”who I am “ とか ” who you are” というのは、「私/あなた が誰か」というだけでなく、「どんな人間か」という意味でよく使われます。)

それを聞いて、緊張で舞い上がっていた私は、はっと我に返りました。

ここで大事なのは、私が上手に英語をしゃべれるかどうかではなくて、私がどんな人間で、どんな目標を持っていて、なぜこの学校に行きたいか、を相手に伝えることだった!ということを思い出したのです。

そこからは、とにかく自分の考えを伝えることに専念しました。

面接官は、終始うなづきながら真剣な目で聞いてくれました。
適切な単語が出て来なくて言葉に詰まっていると、「きみが言いたいのは〇〇ってこと?」と助け船を出してくれました。
曖昧なことは一つ一つ質問して、私の意図を明確に理解しようと努めてくれました。
そして、面接官として質問すべきことは、手加減せずにきっちりと質問してくれました。

彼が非常に優れた聞き手だったおかげで、私は自分が用意していた以上のことを伝えることができました。また、その真摯でフェアな姿勢はとても気持ちが良く、私に非常に高い満足感をもたらしました。

その学校とは残念ながらご縁はありませんでしたが、あの面接官から、私はコミュニケーションのあり方のお手本を見せてもらったと思っています。

そして、その時に気づいたことは、私は「英語を上手に話そうとすること」に捉われてしまっていたということ。
それまで英語の勉強を一生懸命やっていた私は、どうしても視点が「英語」に向いてしまっていたのです。でも、英語が上手に話せればそれで万事OKかといえば、決してそうではありません。

英語はあくまでもコミュニケーションのツール。
ツールを磨くことはもちろん大事だけど、そのツールは、何かを伝えるためのものであることも見失ってはいけないのです

その辺のことも、また書いていきたいと思います。