私は数年前、「やばい…私、日本語忘れてるよ」と危機感を覚えたことがあります。

アメリカから帰ってきた時ではありません。上の子の妊娠・出産で、数か月間引きこもり、ほぼ子供だけを相手に生活をしていた専業主婦時代のことです。

当時私は、夫の転勤のため、一人も知り合いのいない某県で、ほとんど大人と会話をしないという生活をしていました。今思い返すと結構きつい状態だったなと感じますが、当時は別にどうとも思わずに生活していました。

というか目の前の緊急性の高い日常に必死で、自分の状況を冷静に見つめる余裕がなかったのかもしれません。

徐々に外に出るようになりそれなりに人との交流は復活しましたが、子供とのコミュニケーションが中心になっていたので、ちょっと複雑な何かを「筋道立てて」説明したり、人を説得したり、交渉したり という、仕事をしていれば普通に発生する、そういうコミュニケーションをする機会があまりないまま数年間を過ごしたわけです。

で、あるときふと、大人とコミュニケーションするための日本語を忘れていることに気が付いて。。。

「私の日本語やばい!」心の中で叫びました。

ママ友と話す分にはOKです。ある意味、共通言語がありますので。

けど、「ママ」という立場を離れた一人の大人として、外の世界(?)の人と話をするための日本語力が大幅にダウンしたなと危機感を覚えました。

その分上手くなったこともあります。子供にもわかるように、易しい言葉でシンプルに核心を伝える。

これは、以前は持っていなかったスキルで、多分、上手くなった。

けど、少し複雑なことを言語化して整理し、相手に伝える。これができなくなっていたのですね。

本や新聞を読んでいなかったわけではありません。そういう意味ではインプットの量が減っていたとは思いません。問題は、アウトプット

自分の言葉を使って話すとか文章に書いてみるとか、そういう作業が激減していました。

皮肉なことに、英語については、「英語力を落としたくない」という強い意識があったので、英語力を維持する努力はそれなりにしていました。

ですが、日本語についてはまさか日本語を忘れるとは思いませんでしたので…ノーガードでした。

これは、言葉が出てこないから考えていることをうまく人に伝えることができないというレベルで済むことではありません。

思考は言葉を使って行われています。

つまり、思考のために使える言葉が減るということは、思考の質自体が下がるということでもあるのです。

単純な語彙しか持っていなければ単純な思考しかできません

自分の思考のための言葉の語彙を増やすこと。

そのために、本や新聞等のインプットを行うことはもちろんですが、それに加えて、アウトプットして自分の中にそれを定着させること

これを怠ってはいけない!と、その時 強く感じました。